自己紹介

Dream Space運営の木下です。

今回は改めて私の自己紹介をしたいと思います。

<私も障がい当事者>

私は3つの障がいを持っています。

まず1つ目は先天性脳性麻痺です。

先天性脳性麻痺は脳内の運動神経に何らかの傷があり、身体に麻痺が出ることを言います。

麻痺が出る範囲や程度は個人差があります。

私の場合、両足を自由に動かす事が困難です。

そのため、日常生活では車椅子を使用しています。

2つ目はヒルシュスプルング病です。

ヒルシュスプルング病は腸を動かす神経細胞が一部ありません。

無い事で排便機能や排便調整が困難になります。

神経細胞がない範囲は人によって違います。

私の場合、大腸と小腸の半分まで神経細胞がありませんでした。

そのため、大腸と小腸の半分を提出しています。

幼い頃は排便機能に問題があり、入退院を繰り返していました。

今は自分で食事に気をつけながら生活をしています。

3つ目は注意欠陥障がいです。

注意欠陥障がいは発達障がいの一部になります。

特定の神経伝達物質が不足または働きが弱く、脳の働きに問題がある状態です。

私の場合、ノルアドレナリンが少ない傾向があります。

ノルアドレナリンとは集中力や注意の持続に影響がある、脳内物質になります。

そのため、注意力・集中力の持続・深さが他者より短くなってしまいます。

日頃の業務や生活では自分なりに対策をしています。

詳細の障がい説明や対策は下記のURLから見る事ができます。

https://d-kishita.dream-space.site/

<私の経歴>

幼少期は障がいのこともあり、病院で過ごす機会が多かったです。

この時は繰り返し手術を行なっていました。

幼いながらにいつ自分は死ぬだろうかと考えていました。

小学校ではプロ野球選手になりたいと思い、地元少年団に入団し活動をさせてもらっていました。

どれだけ頑張ってもプロ野球選手になれないことを悟り、夢を諦めることになりました。

中学校に上がると思春期もあり、周囲と自分を比べて落ち込んでいました。

また、夢を諦めてしまっていたので、同級生が自分の将来について希望を語っていたことが嫌でした。

挫折をして落ち込んでいるとき、パラリンピックの存在を知りました。

自分と同様に障がいを持った人が、スポーツで世界1位を目指し戦っている姿に希望を抱きました。

見つけた希望から、パラリンピックに出て金メダル獲得をすることが夢になりました。

高校から夢のため、車椅子陸上を始めました。

高校・大学と競技に打ち込みました。

大学では国内・国外での試合にも出場することができました。

順調に大学卒業も見えてきており、社会人にもなっても競技を続けていくことを考えていました。

就職時期になると障がい者特有の就職の難しさを肌で感じることになります。

会社説明会に参加しても、応募する前に挫折していました。

原因は自身の障がいを説明ができなかったことです。

この原因は多くの障がい者が就職する際、立ちはだかる壁です。

立ちはだかる壁を突破する極意をセミナーで話します。

私自身は遠回りをして、宮崎大学の職員に無事就職することができました。

2年間、大学職員を経て転職しました。

転職した理由は、

93.3

という数字が関係しています。

私はこの数字を変えたくて、株式会社ボラシェアに転職しDream Spaceの運営をしています。

ちなみに何の数字だと思いますか。セミナー当日に上記の数字にまつわる話をします。

日々、93.3の数字と向き合いながら障がい者の就職支援を行っています。

<まとめ>

今まで紆余曲折ありましたが、

その経験が活きて今の仕事にたどり着いています。

セミナーでは様々な角度から障がい者雇用について話をします。

ぜひ、会場またはオンラインにて参加をお待ちしております。

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